邱永漢2回目の全集「Qブックス」は
『固定観念を脱する法』からはじまって、
『食は広州に在り』、『私の金儲け自伝』、『象牙の箸』、
『東洋の思想家』、『サムライ日本』と続き、
昭和57年9月に『ゼイキン報告』が
『邱永漢のゼイキン報告』という名前で再版されました。

『ゼイキン報告』が出版されてから16年目のことです。

「私の『ゼイキン報告』は、
自分で言うのもおかしいが、よく歳月の淘汰に耐えてきた。
最初、日経本紙の婦人家庭部長が
私のところへ新しい連載を打診に見えた時、
何をお書きになりますかときかれ、私は即座に『税金』と答えた。

部長さんが意外な顔をするので、
私は、不況の回復が遅々として進まないなかで
企業家たちは税金で苦しんでいる。
またインフレが進むのに免税点の引き上げが遅れているので、
当時、全体で2千万人いたサラリーマンの中で
7割もの人が税金のアミにひっかかるようになってしまった。

税金に対する関心は日増しに強くなる傾向にあるから、
一般人にわかりやすい税金の本を書きたいと思って、
数年前から関係所を集めて勉強しているのだと説明した。

そうしたら、その点はすぐのみこんでくれたが、
はたしてそんな無味乾燥なテーマが
読者の興味をひくかどうか心配した部長さんは一策を案じて、
『私は長くこのポストにおり、次の3月の人事異動で
そろそろよそへ移りそうなんです。
私がいる間は邱さんに存分に書いていただきたいのですが、
部長が変わると紙面も変わります。
そこでこの連載を一応3ヶ月で終っていただけませんか』
と期限を切った。

万一、不評サクサクでも3ヶ月くらいならなんとか
ガマンするつもりだったのであろう。

ところが、連載が始まって2週間で、
編集局のお偉方の間で会議が開かれ、
この調子なら邱さんの気が済むように、
一冊の本になるまで自由に書いてくださいということになった。

おかげで1月から9月までかかってようやく連載を終ったが、
私の連載が終って本になって、ベスト・セラーズを続けても、
部長さんはまだ同じポストに坐り続けていたから、
人事異動云々がただの口実であったことがわかる。」
(『邱永漢のゼイキン報告』まえがき)

『ダテに年はとらず』を執筆した翌々年に
邱は『野心家の時間割』という本を出版しました。
この作品の中で
「本の題名は人の目を引くものであることが必要」
という趣旨の文章を書きましたが、
その際『ダテに年はとらず』に言及し、
この本のタイトルが決まった舞台裏を開陳しました。
 

「ある時、中年から上になったら、
どんな生き方をすればよいかについて
一冊の本を書いたことがあった。
いまの時代が若者にとってシラケの時代だとしたら、
中年にとっては明らかにイジケの時代である。
せっかく若者よりは多くの体験を積んできたのだから、
もっと生きてよいのではないかと私は思い、
そういった内容の本を心がけた。

書きあげた段階で、まだ題名を決めかねていた時に、
娘や息子たちとすし屋で落ちあった。
すし屋のカウンターで箸袋をひろげて、
私が『成熟社会のライフスタイル』とか
『熟年の生活設計』とか、
ごくありふれた題名からはじまって、
『ダテに年はとらず』といくつかのタイトルを書き出したところ、
隣に座っていた娘が即座に、
『ダテに年はとらず』というのを指さして、
『これがいい』といった。
 

『どうして?』と私が聞きかえしたら、娘が笑いながら、
『パパの自己顕示欲がよく表れていてよいじゃない?』
居並ぶ人がドッと笑ったので、たちまちきまってしまった。
『男の人の自信のない生き方に対して、
今の女の人は本能的に嫌悪感を抱いているので、
こういう題にすると、頼もしく感ずるのよ』
と娘は注釈をつけた。

私も実はこれがいちばんいまの熟年の心に
響くのではないかと思っていたので、娘の意見に従ったが、
この本ができあがってサイン会などでペンを走らせていると、
数多い私の本のなかで多くの人の手がしぜんに
このタイトルのところにのびてくる。
『ダテに年をとっているからなあ』
と言い訳をしながら、題名だけで本を買っていくのである。
 

つい最近も、近来とみに人気のでてきた
ファッション・デザイナーの三宅一生さんと
対談をしている最中に、一生さんが、突然、
『いつかは、やはりダテに年はとっていないぞ、
年をとればいい服ができるんだぞ、
というような服をつくりたいと思っているんです』
といった。間髪を入れず、
『では僕の“ダテに年をとらず”を読んでください』
といって拙著を一冊進呈したら、大笑いになった。

どうやら人生も40歳をこえてくると、
年齢とか時間のことが心に重くのしかかって
くるらしいのである。」
(『野心家の時間割』。昭和59年)

“熟年”というコトバには老人になりつつある人の
やりきれなさのムードが漂っているという
前回の邱の言葉は『ダテに年はとらず』の
「まえがき」なのですが、その後の言葉です。
 

「こうした自信喪失は女性に殊のほか多く見られ、
近頃の50、60のオバンのいじけていること。
年をとることはいずれにしても避けられないが、
どうせ年をとるなら『美しく年をとること』
が何より大切ではないか。
ところが『美しく』というと、中年女はすぐ、
整形手術を連想してしまう。
おかげで、似たような顔付きをした
(シワを無理にひっぱると、人間の顔付きは
どれもこれも似てくるものらしい)お化けが
銀座や赤坂の夜やブラウン管の中に
大量に出没するようになってしまった。

この新しい波は、大洪水になっていまや夜の街から
家庭の壁を乗り越えるほどの勢いを見せている。

私に云わせると、『年をとっても美しく』という指標は、
女性だけに課された『刑罰』的な努力目標ではなくて、
男も女も同じように背負っている『十字架』であり、
主として精神的な努力で実現に近づけるものである。
精神的に豊かであれば、それが表情にも現われ、
生活の端々にも現われてくる。

もちろん、そのためには老後の生活を
おびやかされないだけの経済的な余裕も必要であるが、
折角若い人たちより長く生きてきたのだから、
そういう先輩としての知恵を生かさない手はないと思う。
『ダテに年はとらず』というタイトルは
そういう姿勢から生まれたものである。
私とほぼ同年代の『新人』熟年たちのために
いくらかでも気をとりなおす
バネにでもなればと思っている。」
(『ダテに年はとらず』まえがき)
 

前回から紹介してきた『ダテに年はとらず』は
「ダテに年はとらず」と「21世紀を睨んで」の
2部から構成されていて、前者は、財産対策についての部分など、
数章を除いて、この本のために書き下ろしたもので、
後半の「21世紀を睨んで」は昭和56年3月から
57年5月まで産経新聞に「邱永漢の月曜直言」
と題して掲載されたものです。

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