『金銭読本』でヒットを飛ばした邱は
「金銭」の世界に一歩踏み込み
サラリーマンが関心をよせるであろう
株の世界に関心を持ち、『週刊公論』に
会社訪問記を書きました。


訪問記を書く一方で、邱は
実際にこれはいいと思った
会社の株を実際に買いました。

そして、一連の体験を通して感得したことを
『婦人公論』の昭和35年7月号から9月号まで
「私の株式投資必勝法」と題し、3回にわたって連載したのです。

「婦人雑誌に、株式投資の手ほどきを載せるのも珍しかったが、
それを文士が書いているのだから、もっと珍しかった。
NHKがそれをよんで私に兜町に行かないかと誘った
『マイク片手に』という番組で、
私は放送局の人と一緒に取引所に乗り込み、
サイトリ(通常の証券会社間の媒介)をしている連中に
マイクをさしのべ『あなたは株で儲けていますか』ときいたら
『いや、株では儲かりませんが、買った土地が値上がりして、
だいぶ儲かりましたよ』と答えたのには
大笑いしてしまいました」(『私の金儲け自伝』)。
 

これをきっかけに邱が週刊誌や月刊誌で
金銭とか株式投資などについて評論を書く機会が増えました。

『婦人公論』誌に連載した「私の株式投資必勝法」に
「金がかたき」、「千円札の大流行」、「お金のことはわからない」
「貯蓄について」、「貯蓄者の心理」、「金儲け大学の校長先生」
「"男性株"投資法」、「欲望という名の特急」、「天気と景気」
といった一連の金銭や株についての評論を集め
昭和36年6月に朝日新聞社から出したのが『投資家読本』です。
 

時代がこうした作品を求めていたということでしょうが、
この本は出版と同時にベストセラーになりました。

ふつう株のような変化の激しい分野をあつかった文章は、
時間がたつといろあせてしまうものですが、邱が自分の体験を通して
つかみ、そして書いたことは株についての原理、原則です。

第一回目の全集発行に際し、
これら一連の作品(「私の株式投資必勝法」、
「金儲け大学の校長先生」、「"男性株"投資法」「天気と景気」)と
このあと出版する「もうかりまっか」を集め、

作品名をそのままとり、『私の株式投資必勝法』と題して出版しました。

この作品は第三回目の全集である邱永漢ベストシリーズの10巻として
平成4年にも再版され今に至っています。


邱は「サムライ日本」の第一回の原稿が
『中央公論』に掲載された昭和32年10月18日、
嶋中鵬二社長を自宅に招きました。

その頃、嶋中鵬二社長は『婦人公論』の編集長を兼任しており、
その席には、のちに女性で初めて『婦人公論』の編集長になった
三枝佐枝子氏や鉄道紀行文学を開拓した宮脇俊三氏も一緒でした。
 

この日、嶋中氏が「いい知恵を貸してください」と言うので
邱は「婦人雑誌はどうしてお見合いとか、結婚初夜とか、
出産とか、良人の浮気とかいったことばかり力を入れて
お金のことをとりあげないのでしょうね。
奥さんたちが一番関心を持っていることは
お金のことじゃないですか?」と聞きました。
 

嶋中氏が「邱さんのおっしゃる通りですが、
文壇には、お金のことが書ける人がいないのですよ。
言い出しっぺだからお金の話は邱さんにお願いします」と
その場で邱に下駄を預けました。

これには邱も考え込んだのですが、
結局やることにし、『婦人公論』に「金銭読本」を
連載することになりました。

これが邱の金銭談義のはじまりです。

この「金銭読本」を執筆した頃に
その動機を書来ました。
 

「それは人々の金銭欲に投じようとするよりは、
一見無欲ではないかと思われるような日本人の金銭観に
興味を抱いたからでした。

たとえば、日本人はあまり金のことを口にしない。
うちの家内などを見ていると、友人が新しい服を着てきた場合
『あら、いいわね』といったかと思うと、次の瞬間には忽ち、
『どこで買った?』『いくらだった?』という話になってしまう。

そうすることは大して失礼だとは思っていないようであるが、
日本人の友だちになると、よほど親しくならない限り
金の話まで発展しない。

では日本人は金に無関心なのだろうかというと、
ちらりと一瞥で値踏みはちゃんとしているのだから、
関心がないわけではなく、ただ金のことを口にするのは
慎むべきと考えているに過ぎない。(略)

金銭を卑しむということは金銭に無関心ということとは別問題である。
障害が多ければ恋愛の火の手が大いに燃え上がるように
金銭を卑しめと教えられれば、金銭に対する執拗な関心が生まれる。

(略)将来の不慮の災害に備えたりするのは今までのところは
女性に課せられた任務であり、その必要から
女性は嫌でも金銭に対して関心を持たざるを得ない。(略)

『金銭読本』を婦人読者を対象として書いたのも、
そうした思惑があってのことでした。」
(「サムライは欲望と黄金を長く地に埋めていた」。
『投資家読本』昭和36年に収録)

この作品が多くの読者から迎えられたので
邱は「金銭評論」の分野にも筆を動かすことになりました。




『被害者は誰だ』は
昭和34年から35年にかけて書いた推理小説集です。

『怪人二十面相』とか『少年探偵団』の作者として知られる
江戸川乱歩氏に勧められてのことです。

江戸川乱歩氏の足跡をたどると、昭和30年頃、
戦後のミステリの発展をささえてきた『宝石』の経営難を救うため、
その編集長になり、後輩に原稿を依頼して歩き、
さらには私財を投じ、広告集めまでされました。
 

この江戸川さんの要請を受けて邱は、
『宝石』誌に2ヶ月にいっぺんくらいの頻度で
"推理作品"を発表しました。

発表したのは「被害者は誰だ」、「懲役5年」、「恐喝者」、
「視線と刃物」、「教祖と泥棒」の五作品です。

このほか『婦人公論』にも「麻薬王」を発表しています。

この六つの作品をまとめて昭和35年8月に発刊したのが
推理小説集『被害者は誰だ』です。

「推理小説集『被害者は誰だ』は
『宝石』の主宰者である江戸川乱歩さんが、
邱さんはあんな論理的な文章を書く人だから、
お前行って頼んでこいと、
時の編集長を私のところにたびたびよこした結果、
『宝石』に何回かにわたって短編を書いたものである。
それらの短編を集めて本にして出すと『朝日新聞』の書評欄が
『志賀直哉を思わせるような鋭い文章』といって
ずいぶん褒めてくれた。
志賀直哉は日本では小説の神様扱いを受けているから
もちろん褒め言葉に違いないが、
私のような海千山千(自分でいうのもおかしいが)の
人間から見ると甘やかされて育った坊ちゃんにすぎず、
私はそのことを『日本天国論』で指摘していたから、
妙にくすぐったかった。」(『私の金儲け自伝』)
 

『被害者は誰だ』というタイトルからして
ちょっと変わっていますが、この本を発刊するにあたり邱は
「最後の1ページを先に読んでも
結構読むにたえる小説が書きたかった」
「推理小説のとりあつかう材料
(金、セックス、陰謀、犯罪などなど)を
もう一つ別の角度から書いたと思いかえしている」
(『被害者は誰だ』あとがき)と書いています。
 

なおミステリー評論家の新保博久さんと山前譲さんが平成6年に
江戸川乱歩さんの総勢161人に及ぶ推理小説案内書
『日本探偵小説事典』を編集し、
河出書房新社から出版しています。
少し分厚い本ですが、ここには邱が
『宝石』誌に発表した作品について
江戸川乱歩さんがその都度書いた書評が記載されています。

ちなみに、この『被害者は誰だ』は
邱永漢ベストシリーズ・36巻として

平成7年に再版されました。 

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