直木賞受賞の日、邱は少し早目に出かけて行き  
文藝春秋編集長の池島信平氏と雑談をした。
その際、  自分が台湾からとび出したいきさつを話し、  
『日本人は自分たちは  地獄に住んでいるようなことをいうけれど、
 僕から見ると、天国の話ですよ』  というと  
池島氏が『それだ。その話を「文藝春秋」に書いて下さい。
 "日本天国論"というタイトルでいきましょう』  と、
速戦即決、その場で次号に載せることを決めた。
 
  邱によれば
「ちょうどその時分はいわゆる進歩派の学者の花盛りで、
 ついこの問まで一億玉砕を叫んでいたひとたちが  
変わり身早く平和を叫ぶようになり、
 身に危険が及ぶ心配のないのをいいことに、
 アメリカ人に悪態の限りをついているところであった。 」 

  そういう卑怯者に対して、邱は
 『所謂平和論者が存在している限り、  
彼等が日本をアメリカの植民地にすることから  
防ぐだけの力があるかどうかは知らぬが、  
日本がアメリカの植民地になっていない証拠にはなる。
 植民地ならば、彼等はとっくの昔に姿を消していると、
 かつて植民地に育った我々にははっきり断言出来るからである』
と書いたのです。

この文章が『文藝春秋』に載ったのは、
 受賞直後の昭和31年の4月号でした。  

この「日本天国論」執筆後、
邱は日本人論の構想を持って
中央公論の嶋中鵬二社長を訪れました。

その際、当時、台湾で起こった
レイノルズ事件の背景がわかるような文章を書いてほしいと言われ、
「台湾人を忘れるな」と題する論文を中央公論に発表した。

 台湾は大戦前には日本の植民地であったが
戦後、日本から切り離され、中国大陸から流れてきた
国民政府の統治下に入り、台湾人は苦吟に満ちた生活を強いられていました。
そうした台湾の実状に、日本人が頬被りしていることに対して、
痛烈な皮肉を込めて書いたのです。

「ある朝、床から起きて新聞を見たら、
中共訪問へ行く日本社会党の談話として、
『台湾問題は中国の内政問題である』という記事が
載っていたのである。

私はこれを中共の招待でタダの御馳走になりに行くお客さんが
主人側に対してお世辞の安売りをしているのであろうと解釈した。
でなければ、どんな低能だって台湾問題が
ただの内政問題でないことを知っている筈だからである。

しかし同時に現実に目を覆い、観念論をふりまわしても
結構政治家がつとまるこの国が羨ましくなってきた。
来世に生まれてくるなら、私はアメリカ人なんかより
日本人に生まれてきたい。

そして国鉄か総評か日教組を背景にして
社会党の代議士として打って出たい。
自分たちが置き去りにした台湾人の不幸をよそに、
『台湾問題は中国の内政問題だ』と放言することが出来たら、
さぞや、人生は楽しいことずくめであろうと考えるだけでも
ホクホクである。」(「台湾人を忘れるな」)

これら二つの論文と当時書いた「消費文化論」、「男女分業論」
「宰相論」、「官僚論」の各論文とあわせ、昭和32年10月、
中央公論社から『日本天国論』を  出版した。
 
すると、辛辣な批評で鳴っていた大宅壮一氏が、
 『いまだかつて日本人によっても、日本に来た外国人によっても、
 これだけユニークな日本論が書かれたためしがない』 
 と口をきわめてほめました。

これをきっかけとして、邱は小説のほかに
評論の分野へと活動の場が広がって行くのです。


ちなみに、この『日本天国論』は
一回目の全集「邱永漢自薦集」、
3回目の全集「邱永漢ベストシリーズ」 に
収録されました。 

この本も前著『食は広州に在り』と同様、
30の目次が四字漢字と日本語の組み合わせで書かれています。
四字漢字は日本人には馴染みのない言葉がい多いのですが、
パソコンでその意味を調べながら読むと、
なるほど、と著者の意図への理解が深くなルところがあります。

 

·       象箸玉杯 貧乏こそ敵

·       談西洋菜 クレソンばなし

·       異味独嗜 ニンニクの孤独 

·       依様葫蘆 提灯屋の小僧

·       山珍野味 猫の料理 

·       酔生夢死 酔いどれ船 

·       夜雨春韮 韮を摘む袖 

·       苦中作楽 豪勢な貧乏 

·       負笈千里 日本留学 

·       赴湯蹈火 おホリの愚連隊 

·       脂沢粉黛 醬をすすめる

·       香囲粉陣 香料の道 

·       望梅止渇 渇きの季節

·       管鮑之交 磯の鮑魚の片思い 

·       随園食単 随園料理メモ 

·       蛙鳴残雨 蛙のはなし 

·       炉辺談食 鍋料理の季節 

·       魚塩之中 魚と塩の仲

·       銀芽米粉 モヤシとビーフン

·       担麵度月 担麵のこと

·       投桃報李 情は人のためならず

·       啼笑皆非 批評家の腕前 

·       売花姑娘 紺屋の白袴 

·       戯問芭蕉 バナナの気持 

·       遺珠之恨 パパヤの嘆き

·       季常之癖 嫉妬の味

·       性好吃醋 酢い人ばなし 

·       羝羊触藩 忠ならんとすれば
 節流開源 上手な食べ方

·買菜求益 ケチで行きましょう 


 

 『食は広州に在り』に続く食べ物雑誌「あまカラ」第二弾の食味随筆です。
昭和32年から2年半に亘って掲載され、武井武雄氏の版画入りの凝った意匠で出版されました。

 

 それから20数年後、シナリオライターの向田邦子氏が邱家での食事会に招かれました。
 ご同席のお客様はマンズワイン社長の
茂木七左衛門氏、東京吉兆の経営者、湯木昭二朗夫妻、文藝春秋OBで食味評論家の薄井恭一氏と食にうるさい人たちでしたが、向田氏は「私は『象牙の箸』の愛読者で、文章を丸暗記しています」と発言されたとのことです。

 

 読者をして、暗誦したくなるほど、美しく、また含蓄が深い言葉で書かれていることを如実に示す話だと思います。

 

 と同時にこの本には読者が実際に「自分でもつくてみようか」という意欲が掻き立てられる気にさせられるところがたくさん紹介されて英ます。
 例えば第二章、
「西洋菜湯」(シーヤン・ツアイタン)(クレソンのスープ)には著者の奥様が多摩川べりで、クレソンを見つけた話が紹介されています。

 この話に新鮮な刺激をいただき、のちに書かれた『邱家の中国家庭料理』を手元に引き寄せ、実際に作ってみました。美味でした。ちなみに、このスープ、香港に住んでおられた先生が、奥様のご実家を訪問された際、奥様のお母様が、いつも用意された一品とのこと。

 

 中国の古典の紹介と並んで、著者自身が体験された話が具体的に披露され、読者が自分の場で再現したくなるような気にさせられるところもこの本の大きな魅力です。 

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