「なぜ固定観念にとらわれてはいけないのか」
と題する一文の最後の部分です。
「その意味では、外国人が日本のことをどう考えているのか、
物差しを向こう側にあてて測定する必要があるが、
そうした人気にかかわらず、株式という形式の財源は、
長期化するスタッグフレーションの下で
次第に人気離散していく存在であるという見方を
変える気にならないのである。

株よりは、土地の方が、また日本の土地よりは
アメリカの西海岸のようなこれから日本企業が
大挙して進出するであろう地域の土地の方が、
投資の対象としては有望だろうというのが
私の見方なのである。
 

既存の発想によって運営されてきた経済が行き詰まって、
不況が世界的な拡がりを見せると、
経済的なリーダーシップが一国から他国へ移動し始める。
1930年代に、世界恐慌におちいったあと、
ケインズの理論を応用したニューディール政策が成功すると、
世界のリーダーシップはイギリスからアメリカに移った。

あれから半世紀たった昨今、
そのまま製品に上乗せして売ろうと思っても、
石油の値上がりがきっかけになって、
アメリカ的発想による生産体制が壁にぶつかり、
全世界が再び不況に見舞われた。
石油の値上がりによるコスト・インフレを
購買力がそれに伴わないから、滞貨の山になってしまう。

そういう中にあって、日本人は『省エネ』と『無人化』
という二つの新兵器をひっさげて
経済戦争の土俵におどり出てきた。

今や、どこの国に行っても、
日本製品に打ちまかされつつある連中が
『日本側が急増する輸出を抑えなければ、
貿易制限で報復するぞ』とおどしをかけてきている。
この駆け引きを見ている限りでは、
日本は50年前のアメリカの役割を
肩代わりしつつあるかに見える。
おそらく10年を出でずして、
世界経済における次のプライス・リーダーは
日本に移ると見てよいのではあるまいか」
(『固定観念を脱する法』まえがき)
 

『固定観念を脱する法』は日本が昭和55年頃から
世界に対して力強さを示すようになってきた
ことを伝える経済評論も収録しています。

前回掲載した「なぜ固定観念にとらわれてはいけないのか」
と題する一文の続きです。
 

「したがって時代に取り残されたくないと思う人は
頭の中につまった固定観念をかなぐり捨てて、
自らの権威を否定してかからなければならない。
少なくとも私は、自分に対して常に、
『初めからやりなおし』を命ずるような
生活態度を強いてきたので、
どうやら身動きができなくなるほどの
動脈硬化におちいらないですんでいる。

もっとも、自分ではそのつもりでも、
実はズレが激しいということになったら、
『自分はひょっとしたら、ズレはじめたのではないか』
と疑っている人よりは重症ということになる。

この20年間、私は『固定観念にとらわれない』ように、
新しい経済現象、社会現象にとらわれないように、
と努力してきたつもりだが、
ここに集められた最近の文章を読んでみても、
たとえば80年代には、インフレの下で株式が次第に
人気を失っていくであろうことがくりかえし強調されている。
 

一昨年(昭和55年)初めになって
海外から投資が増えるきざしが見えはじめるまでは、
私はそういう考えに傾いていたが、
新しい動きを見て、さすがの私も
『外人の発想によって株式市場が動かされるようになるだろう』
『久しぶりに大型株ブームが到来するぞ』
と主張するようになった。

しかし、『株式投資はやがて衰退するぞ』という記述は
そのまま遺しておくことにした。
日本経済に対する世界中の人々の信頼感は
やっと緒についたばかりで、
やがて本格的名風潮になるはずであるから、
おそらく外人主導型の日本株ブームは、
10年といった長期にわたって続くであろう。」
(『固定観念を脱する法』まえがき)


「Qブックス」第1巻として、『固定観念を脱する法』が
昭和57年の3月に刊行されました。

この本は「選手交替下における個人の財産対策や
経済に対する考え方や商売の心得について
書いた作品を集めた」ものですが、
この本の「まえがき」で邱は
なぜ「固定観念にとらわれてはいけないのか」
と題した一文を掲載しています。
三回に分けて紹介します。

「昭和34、5年、私は小説、随筆、児童読み物など、
長短あわせて10本くらいの連載物を執筆していた。
ほぼ同年代のサラリーマンに比べれば、
世間にも名前は知られているし、収入も多いし、
小説家というものは坐り心地のそう悪くない職業であったから、
『小説家と乞食は3日やったら辞められない』
と私は冗談半分に言った。
しかし、考えることがあって、私はそれを減らし、
株式評論に切り替えた。

株について全くのシロウトだったが、シロウトだったおかげで、
異なった視点から証券市場に斬り込むことができた。
『番付の順序に企業をひいきにするな。未来の番付を予想して、
将来の横暴企業に出世する会社の株を買え』
というスローガンの下に、多くの投資家たちに
“成長株買い”をすすめたのである。

それは、株式投資のクロウトたちにとっては
思いもかけない発想だったので、
株式評論家たちの虚をつくことになり、
また多くの投資家たちの共鳴をかちとって
一世を風靡することになった。

おかげで、私は短時間に株式投資の権威ということになり、
権威というものがいかにいい加減なものであるかを
身をもって体験することになったのである。

権威とは、ひとつのことを長く体験して、
体験を通じて物ごとを判断する人のことであり、
年と共に頭の中が固定観念で一杯につまった人のことである。

私の場合も、はじめはシロウトと侮られたが
20数年もたってみると、知らず知らずのうちに、
その道の権威ということになってしまった。
たまに私が経済雑誌に原稿などを書くと、
巻頭に載っていたりして、知らない人は
『あ、この人は偉いんだなあ』
と感心するかも知れないが、同じ雑誌を私が見ると、
『あ、この世もこれでおしまいなんだなあ』
という具合に見えてしまうのである。

どうしてかというと、世の中は次々と移り変わり、
次々と新しい経済現象、社会現象が起こっているというのに、
権威といわれる人々は定位置に坐ったまま、
古い経験を基準にして物事を判断しようとするからである。
ズレはますますはげしくなって、
的確な判断はいよいよ難しくなってくるのである。」
(『固定観念を脱する法』はじめに)

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