「濁水渓」に続い書いたのが「検察官」ある。
この作品は、処女作品「密入国者の手記」を書く機会を与えた
王育徳氏の実兄である王育霖氏をモデルにした小説である。
 

戦後、「国民政府」が台湾に派遣してきた役人たちの統治が
あまりにひどく、1947年(昭和22年)2月に2・28事件と呼ばれる
全島的な大暴動が起きた。

この事件で台湾の人たちは無差別の機銃を浴び、
1万人からの人たちが殺された。

日本が台湾を統治していた 50年の間に、

東大を卒業した台湾人が約百人ほどいたが、
この事件で三人が殺された。

この三人うちの一人が王育霖氏である。

王育霖氏は、新竹地方法院の検察官をやっていたが、
新竹市長がアメリカの援助物資である粉ミルクを横流している
証拠をつかんで検挙したところ、逆に法院の上司に解雇されてしまった。
やむをえず台北に出て建国中学の教師をやっていたところ、
事件が起こると、新竹から糾察隊が押しかけてき、そのまま連行され、
行方不明になり、不帰の人になってしまった。
小説「検察官」はこの事件をとりあげたものである。

邱はこの「検察官」が昭和30年上半期の
直木賞候補作になるのではないかと期待したが、
候補作の中に入ることはできなかった。


大東亜戦争中、外地の台湾から内地、東京に留学していた林学生は、
仙台医専学んでいた魯迅が国民の精神が改善されなければ、
国民の暮らしはよくならいないと考え、
卒然と中退したとの実話に刺激され、
中国大陸への渡航を企てる。

この計画を実行しようとしていた矢先、特高に寝込みを襲われ、計画は頓挫する。
そして、「台湾人・朝鮮人学徒の志願兵制度」が発令される。
「志願」とは名ばかりで、実質、うむを言わせない「強制」である。

それに従うかどうか、考えた結果、逃げ回ることを選び、
伝手を頼って、東京から、神戸、姫路、長崎、東京と逃げ回る。
逃亡、数ヶ月のうち、日本は敗戦を迎える。
 

戦争が終わり、林青年新生、台湾の再生に期待を寄せ故国に帰る。

この台湾に、中国大陸での戦争で敗れた国民政府一派が逃げ込んできて、
悪政の限りを尽くす。
この圧政に怒った台湾住人が怒りを爆発させるが(2
.28事件)、
国民政府は近代装備を見についた兵士達を台湾に送り、
台湾住民を殺戮し、台湾のインテリの大半が皆殺しにあう。

台湾人の故郷を失った悲しみから、
林は船に乗って、香港に逃避する道を選ぶ。
 

以上のように、この作品は二部構成で、
一部が
戦争中、東大に留学していた台湾人の学生が志願兵になることを拒み、
日本国中逃げ回る話であり、
二部はは戦後、夢を抱いて台湾へ帰ってきた青年が
2・28事件という
反政府運動に巻き込まれ、失意のうちに台湾を脱け出す」
という構成である。

1954年(昭和29年)4月、
香港から生まれたばかりの長女を連れ、
来日した邱が最初に執筆した作品である。

この「濁水渓」も前作の「密入国者の手記」同様、
「大衆文芸」誌に掲載してもらが、この作品を載せた雑誌を
送ったのは大学の先輩にあたる
檀一雄氏である。

小説を読んだ檀一雄氏から「作品を読んだ。作品は合格である。

出版の手続きをする」との連絡を受け、
1954年(昭和29年)125日に「現代社」から刊行される。

この作品は第32回直木賞の候補作に選ばれるが、
決戦で選に漏れる。

この作品はのち、

邱永漢自選集〈第1巻〉『密入国者の手記・濁水渓 』(1972年) 

邱永漢ベストセラーズ 『香港・濁水渓』(1992/5)

文庫版 『香港・濁水渓』(1980/1/1)
が刊行され今に至っている。




(参考)邱永漢著『邱飯店のメニュー』。同著『わが青春の台湾。わが青春の香港』。







『竜福物語』(のち『華僑』に改題)を書いたあと、
香港で引き続いて小説を書き出す。
そのひとつが『敗戦妻』である。

『敗戦妻』は、終戦後の台湾で、
一夜のサービスを提供することで
生計を立てるほかなくなった日本人女性と
彼女の家を訪ねた台湾人男性との人間交流を描く短編小説である。

この作品は昭和31年に発行されることになった『密入国者の手記』と
昭和47年に徳間書店から発行された邱永漢自選集Ⅰ
『密入国者の手記・濁水渓』に収録されている。
 

また『客死』という小説も書いた。
台湾が日本統治下にあった時から日本の統治に抵抗した
台湾の元老に、林献堂という人がいた。

『客死』はこの林氏をモデルとし、
林氏が国民政府の政治に怒りを覚え、
東京に移住したまま帰らなかった模様を伝える作品である。

この小説には、林氏に擬した老人「謝万伝」が登場します。
また「蔡志民」という人物も登場します。

「蔡志民」は、邱に台湾の銀行に勤めていた時、
台湾独立の密使役を頼んだ荘要伝氏がモデルである。
 

荘要伝氏は邱と共に香港に逃避行し、
香港で邱と同じところに居候した。
その後、香港にいてもやることはないといいい
日本に密航し、日本で原因がわらないままに死んでしまう。

この荘要伝さんに擬した「蔡志民」の死体を前に、
老人「謝万伝」が語る。

「蔡君、今度生まれてくるなら、決して植民地に生まれてくるな。
 どんな貧乏で小っぽけな国であってもいいから、
 自分たちの政府をもった国に生まれてくることだ。
 そうすれば君は政治のことなど心配しないでもいい。
 政治家にまかせておいて、放蕩三昧でもして暮らしてくれ。
 そういう姿の君が見たい」と。

この作品も先ほどの2冊の本に収録されているが、
『邱永漢短編小説傑作選・見えない国境線』
(平成6年)にも収録されている。

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