台南市に住む楊老人は、妻に逝かれ、
息子も娘も家を出て、一人暮らしである。

息子の
永祥は日本の大学を出て、
台湾に帰ってきたが、
一攫千金のために
家の金を持ち出すのみで、
家には一切、
金を送ってこない。


娘の月華は娘で自宅に住んでいたが、親の愚痴が耐えられず
家出し、同じ勤務先の外省人と同棲している。

そんな孤独な環境のもと、老人の関心事は
専ら、自分が死んだ後の棺桶探しであるが、
珍しく、来客があった。

娘が、老人の誕生日祝いのため、
誕生日祝いのプレゼントを届けたのである。
涙もろくなった老人は幸福感でいっぱいになる。

この作品名の「故園」は「故郷」のことであり、
ふるさとで、一人寂しく暮らす父親の心境を
思いやりながら書いた作品である。

1956年(昭和31年)直木賞現代社から出版された
『密入国者の手記』、
 
邱永漢自選集『密入国者の手記』(徳間書店刊)、

そして、邱永漢短編小説集『見えない国境線』(1994年)(新潮社刊)に
収録されている。

舞台はシンガポール。
主人公は汕頭出身の女性で38歳の阿桂(アクイ)。
18歳の時に
シンガポールに来てから、女中奉公などして、
小金を貯めている。

その阿桂に潮州出身で32歳の男性、阿劉(アラウ)が
資本がかからないで、儲けになる商売」を持ちかける。

貧乏人が死が近づいたときに駆け込める家、
つまり「死人の家」のである。

阿桂(アクイ)はその話に乗り出資し、「惜別亭」を設立し、
阿劉(アラウ)経営に当たる。

惜別亭」は貧乏人のニーズにマッチし、繁盛し、
阿桂(アクイ)と阿劉(アラウ)は結婚する。

惜別亭」の商売は、軌道に乗るのだが、
この商売を考え出した阿劉(アラウ)は独立し、
惜別亭」よりグレードの落ちる「風粛亭」を設立。
また、別に女を作り、子供ももうけ、
阿桂と阿劉は離婚する

「風粛亭」は貧乏人に受け入れら繁盛するが
ある日、「風粛亭」からの申し出で、惜別亭」の傘下に入る。

それから、年月が経ち、子供に背負われた瀕死の病人が
「惜別亭」に運ばれる。
その老人こそ、誰あろう、老いたる
阿劉である。

この短編小説の誕生にあたり、著者は次のように述べている。
「シンガポールで、死人が出ると、

家が貸しにくくなるので、貧乏人は死にそうになると、
家主から追いたてをくらう。
そういう貧乏人が死ぬための家をつくった人がいて
結構繁盛しているという記事を香港の新聞で読み、
それがヒントになってできた小説である
(『邱永漢自選集第3・オトコをやめる話』)。

『惜別亭』は、1958年(昭和33年)11月5日に文芸評論新社から刊行され、

のち、邱永漢自選集『オトコをやめる話』(徳間書店刊)、
邱永漢短編小説集『見えない国境線』(1994年)(新潮社刊)
ベストシリーズ42『惜別亭』(1996年)(実業之日本社)、
にも掲載されている。


 


小説『刺竹』は 共産党員になった青年を妻が自首させる話である。
主人公の青年は銀行の研究員、鄭垂青(テイスイセイ)。
先輩の研究員、余秋陽(ヨシュウヨウ)らと盛り場で飲んだ翌日、
銀行に保安司令部が入り、余が連行されたことを知る。

鄭が身の危険を感じ、逃げる。
逃げ込んだ先は、母親の唯一の女友達であった尼の住処で
竹藪に囲まれた草庵 である。

そこの身を潜めていたところ、
鄭の妻、錦霞(キンカ)がその場所を突き止め訪ねてくる。
妻は前もって、夫の勤務先の理事長で政治力のある人物に面談しており、
自首すれば、相応の措置を講じるとの了解を得ている。

妻、錦霞は、夫にそのことを伝え、夫に自首するよう訴え、
鄭垂青は不承不承、妻の進言を受け入れる。

この小説は、邱永漢の友人の身の上に実際に起こったことや 
自身の心境や身辺を織り込んでいる。
檀一雄氏はが「この一作だけで、小説家としての才能を認める」
激賞し、著者は、のちに、
「何度読み返してみてもその度に胸が痛くなる」と述懐している。 

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