2019年12月


本書は井原隆一、坂井清昭と邱永漢の3人が
昭和48年の暮に鼎談し、昭和49年1月に刊行されました。

鼎談の内容は次のように編集されています。

第一章 昭和四九年は経済転換の年
(一)経済変動をどう受けとめる
(二)インフレ対策と生活・企業防衛策
第二章 儲かる商売を見つける法
(一)世の中変われば商売も変わる
(二)商売繁盛、目のつけどろ
第三章海外投資で儲けよう
 =邱式事業の起こし方
第四章これからの投資・利殖・狙いどころ
(一)投資家の出番はいつ頃か
(二)財産保全の本命・不動産
(三)楽しみながら儲けるコレクション
(四)貯蓄上手になる法
第五章 新事業・真商売に成功する法
(一)成功する見通しのたて方
(二)成功する借金術
(三)成功する情報収術
(四)中小企業こそチャンスあり

この中で、台湾に帰ってから一年経過の邱は
豚の養育事業を報告しています。

また第五章(二)成功する借金術で
不動産投資のための借金はするが
事業はどうなるかわかならいので、
そのための借金はしないとの考えを披瀝しています。




 



この本は昭和45年6月から48年3月まで

「東京スポーツ新聞」紙に毎週一回乃至二回、
その当時の経済の動きを頭に入れながら、
一回分が原稿用紙2枚という短い文章で書き続けてきた作品を
昭和48年6月に出版した本です。

この本のあとがきで邱が次のように書いています。

「ふりかえってみると、この2年間は、
日本経済の激動期であった。
貧乏国日本が世界中から金持ちの国とみなされ、
金持ちとしての義務の遂行を迫られ、
2年間に2度も円の切り上げを余儀なくされるという、
歴史はじまって以来の新しい体験をした。
 

物価の動きも、株価の動きも、更に企業や個人の対処法も、
従来の体験になかったものばかりだから、
過去の常識でははかり知ることができない。

この激震は今なお続行中であり、新規の投資事業は、
土地も株も商工業も著しく困難になってきた。
諸物価の騰勢は恐らく半年半ばくらいで
一応の落ち着きを見せるだろうが、事業という点で見ると、
私は日本の産業界は国内的には絶頂を極めたのではないか、
という気がしてならない。
 

つまり今後の日本経済は海外志向型となり、
これからは企業の生産工場を海外に引越しさせるのが
一番目立った経済現象になる時代がやってくる筈である。

したがって私の次に書く本は『海外投資読本』であり、
体験を重んずる私としては既に東南アジアの視察も終わり、
目下台湾で工業団地の建設に着手している。
どうかこれからますます広く海外に目を向けていただきたい」
(『邱永漢のこれからの金儲け』「まえがき」)
 

スポーツ新聞向けの経済評論としては、
この『邱永漢のこれからの金儲け』がはじめてですが、
のちに邱さんの面白くてわかりやすい儲け話が

他のスポーツ新聞紙上でも展開されることになります。 


ところが出版間際になって、同じ題名の本がよそからでたために、
改名を迫られ「邱永漢・成功の法則」という題名になりました。
 

「私は経済の現象を観察していて、その中に流れている傾向を、
一つの法則としてとらえる癖を持っている。
帰納的思考を直感でとらえる遊びとでも言うべきものだろうか。」

この邱さんの思考の遊びで31講の法則が整理されました。

この『邱永漢・成功の法則』は初版から10年ばかりたった
昭和59年に2回目の全集「Qブックス」シリーズの一冊として
『成功の法則・金儲け論語・31講』と題して再版されました。

その「あとがき」で邱は書いています。
「訓戒めいたことを語るのは、私の性に合わないのだが、
大学の講義みたいに、31講に分けて講釈した形をとると、
すぐにも腐ってしまうような話をするわけにもいかないから、
どうしても、原則論を述べてしまう。
つまり私たちの日々、変化してとどまることを知らない
生活の中を流れていながら、一貫して変わらない原則となると、
十年たって読みかえしてみても、
不思議にも少しも古くなっていないのである。

というよりも、書いた時にすでに新しくないことを書いていて、
その時は気がつかなかっただけのことかもしれない。」
(Qブックス版『成功の法則』)
 

たまたま、私は会社で「新規事業開発」の仕事を他県したことがあり、
その後で、この本を読むと、思い当たるところが多々あり、
頭の整理に役立った経験があります。

だから「仕事の開発」に取り組んでいる人から相談を受けたら、
イの一番でこの『成功の法則』を推挙します。
  



『成功の法則』は昭和年から48年まで
『マネジメント誌』に「ビジネス論語」と題して連載し、
昭和48年4月に日本能率協会から新書版で
単行本として出版された作品です。

「本書は、私の遍歴の中から体験的に生まれてきたものである。
金儲けや株式投資に関する本をこれまで結構書いてきたが、
自著を献呈する時、
私は署名のほかに2、3行の短文を書き添える。
中央公論の嶋中鵬二氏に言わせると、
私のそれらの短文はちゃんとした警句になっているから、
『金儲け論語を書きなさいよ』としきりにすすめた。
 

たまたま『マネジメント誌からも
似たような趣旨の申し込みをうけたので
連載を引き受け昭和47年から48年にかけて
『ビジネス論語』と題して15回にわたって連載した。
金儲けがビジネスにタイトルを変えたのは、
理研光学がリコーに社名を変更したような
『マネジメント』誌編集者の感覚に私が賛成したためである。」




『株の発想』は昭和45年10月から46年11月まで
「株式投資の実際」と題して「日本証券新聞」紙で連載し、
日本証券新聞社の出版部から刊行したさ作品です。

この執筆時期には
8月15日にニクソン大統領がドル緊急防衛対策を決定し、
8月27日、日本は 円の変動相場制への移行を決めた。

また10月25日に中国の国連加盟が決まった。

 

このように、経済環境が大きく変化した時期であったが、
この作品ファ出版されてから二十数年後に邱は
次のようにふりかえっている。

「いま読み返してみると、あの時代なりに
自分がどういう先の読み方をしたのかがよくわかる。
私は気の早いほうだから、日本が耐久消費財の輸出国から
資本財の輸出国に変わるだろうと思ったし、
ニクソンの訪中をきっかけとして、
中国を新しい市場とする動きになるだろうと予想した。

また人手不足によって人件費が高騰するから
省力機械が次の成長産業になるだろうことを力説している。

細部では間違いはたくさんあるが、
大筋を間違えなかったおかげで、
何とか今日までやって来られたんだなあ、
と改めて実感させられる著作のひとつである」
(ベスト・シリーズ版『株の発想』まえがき)。

 

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