2019年12月


昭和46年の秋から、
「邱永漢自選集」を出すことになりました。

その下準備として邱は
昭和46年5月から8月まで『週刊現代』に
『私の金儲け自伝』と題する半生記を
連載することになりました。
 

「いっそこの機会に、なぜ小説家が『お金儲けの神様』
になったのか、神様の正体はどんなものか、
厨子をひらいて皆さんにお見せするのも一興かと思いました。
そこで週刊誌から声がかかった時、すぐ承知しました。」
(『金儲け未来学』)

この半自伝の連載を邱さんは次のような言葉で結んでいます。
「雑誌としては『邱センセイの歩いてきた道を書いてもらえば、
それがそのままお金儲けの秘伝公開になるんじゃないか』と
いう狙いがあってのことだと思うが、
私自身としては、小説家や文明批評家や随筆家としての私と
『お金儲けのセンセイ』を何とか結びつける方法を
考えださなければならない立場にあった。
 

私が直木賞をもらったのが昭和31年の2月で、
私が『中央公論』に連載して
全八巻の絵入りの単行本にして出した
『西遊記』の最終巻が出版されたのが
8年前の昭和38年である。
二十代の青年たちから、
『へえ、小説をお書きになったこともあるんですか』と
きかれるのも無理はないのである。
 

もうひとつ私は青春の賭けに負けた失敗者である。
『お金儲けの神様』とはその往生したようなものである。
だから、私は自分を成功者などとは少しも思っていないが、
しかし、自分の理想を実現できなかった人にとっては
励みになる面があるかもしれない。

かつて世界的な大富豪であるポール・ゲティがその著書
(『生きることの価値』)のなかで
『人はいちばんやりたいと思っていることを
いつでもできるとは限らないが、それに代わる適当なものを選び、
それに適応できるものだ』という意味のことを述べている。」
(『私の金儲け自伝』)


邱は一代で業を成し遂げた人たちをとりあげた
『もうけ話』を「経営者会報」に書き、
昭和46年6月、日本実業出版社から刊行しました。
 

この本の序文は「石割りの名人たち」と題したエッセイです。
「この本を書くにあたって、最初に考えたことは、
金もうけのタネはどこにでもころがっているということである。
世の中が落ち着いて来ると、
新しく無名の新人がわりこむ余地はなくなると誰しもが考える。
また資本のない者が新しく仕事を始めても、
とても大資本にはかなわないというコンプレックスがある。

こうした考え方がいかに間違っているか、
を証明するには戦後の、私たちと同時代に生きている人たちが
どんな方法で自分たちの企業を築きあげていったかを
跡づけるのが一番よいだろう。
 

経済界は、いつの時代でもそうだが、
競争が激甚だし、資本や実績が物をいう。
それはちょうど私たちの前に
立ちはだかった一枚岩のようなもので、
どこにも私たちの割り込む余地がないかに見える。

しかし、同じ岩を石割りの名人が見たら、
『ウム。ここを割れば、うまくいくだろう』と
事もなげにいうに違いない。

かりに名人でないとしても、
石を割ることに情熱を傾けるほどの人なら、
やがて、石の割れ目はどういう具合になっているかを
発見するに違いない。

経済界の性質をのみこんでいる人にとっては、
競争の激甚なことや過去の競争の勢力分布図などは
さして問題にならないのである」
 

さて、ここに取りあげた「石割りの名人」は
ホンダの本田宗一郎さん、
ブリジストンタイヤの石橋正二郎さん、
スパーダイエーの中内功さん、
来島ドックの坪内寿夫さん
マザック旋盤、山崎鉄工所の山崎照幸さん、
森ビルの森案吉郎さん
ムトウの武藤鉄司さん、
川島紡績の川島勘市さん、
日動画商の長谷川仁さん、
日本ヴォーグの瀬戸忠信さん
手塚式ゴミ処理プラントの手塚国利氏、
ヒグチ・チェーンの樋口俊夫さん、
手芸糸ハマナカの浜中利基さん、
ハンドラベラーの佐藤陽さん、
そして熱帯魚日本一になった学友の竹腰宏さん
以上15名の方々です。
 

この『邱永漢のもうけ話』は昭和61年に
『もうけ話』と改題し、Qブックスシリーズの一冊として
再版されました。



著者が日本で最初にお金を借りたのは
渋谷に買った30坪弱の土地にビルを建てるときで、
日本の銀行から600万円の借金をしました。

「香港に住んでいるとき家を買う際にも借金をしましたが、
その体験と比べると、日本の銀行は、お金を何に使うのか、
どうやって返済するのかなどと聞いてくる。
『ずいぶん面倒見のいいものだな』と感心した」
(『金儲け発想の原点』)とのことです。
 

こうした自分の体験にもとづいて著者は
昭和45年から46年にかけ、
日本経済新聞に「銀行とつきあう法」を連載しました。

銀行とつきあっていく上で
頭に入れておくべきことが執筆の対象で
たとえば銀行から信用される秘訣として
著者は次のことを書きました。

「嘘をつかないことのほかに、
たとえば借りたお金の返済にあたって、
約束した期日を絶対に間違えないとか、
あまり派手なところを銀行に見せない
といったことも大切である。
 

銀行員は3年もたてば転勤になるし、返済期日を遅らすと、
その常習犯という記録がのちのちまで残る。
個人的に銀行の支店長と親しくなるよりは、
きちんと借金返済の記録を残した方がずっと役に立つ。

というのも銀行の貸し出しにはワクというのがあって、
一旦、この人もしくは、この会社にこれだけのお金を貸し、
ちゃんと返済してもらった記録があると、
どこの銀行でも、ワクの範囲内なら二つ返事で
お金を貸してくれるものだからである。

ただお金の貸し手はいつもお金をきちんと
返してもらえるかどうか心配しているから、
お金を借りた人があまり派手なことをやると
途端に警戒心を強める。
銀行を安心させるということも、
お金を借りる上で大切なテクニックである」(同上)
 

さて著者がこうした文章を書いたころと
いまの銀行とはずいぶん違っていました。
「まだ銀行といえば、お金を預けに行くところで、
一般庶民が融資を受けられる時代ではなかった。
住宅ローンが制度融資地して定着したのは
ずっとのちになってからのことである。(略)

そういう時代に、
どうして私が銀行の話を書いたかというと、
自分と似たような立場の中小企業者も
たくさんいるに違いないと思ったし、
また将来、家を建てたいとか、
土地を手に入れたいと考える人は、
銀行からお金を借りなければ、
目的を達することができない。
同じことだが、借金ができるようにならなければ、
上手な財産づくりはできない、と直感したからであった」
(同上)
 

蛇足ですが、平成のデフレの時代は、
この作品を書いたころとすっかり様相が変わり、
著者は銀行をあてにしてはいけませんよという趣旨から
1999年、真反対の『銀行とつきあわない法』
を書き、幻冬舎から出版しことを補足しておきます。


この本は昭和46年に東京スポーツ新聞社から
発刊された本です。

著者は
昭和45年に「邱永漢財務相談室」を開設しましたが
開設をすすめたのは著者の
アドバイスで
『一枚の繪』をはじめた竹田厳道氏です。
 

「邱さんの話をききたいと思っている人は
全国に数多くいますよ。財務相談室というのをひらいて
そういう人の相談にのる仕事をやったらどうですか。
なんだったら僕が広告をだしてもいいですよ」
と、自分で実際に邱永漢財務相談室の広告を出したのです。
 

すると申し込みが次から次へと舞い込んでき、
邱は仕方なく、相談の申込み用紙をつくり、
所定の記載事項を書いてもらって申し込みを受け
それから改めて面会日をきめて相談することになりました。
 

こうした「財務相談室」の活動のあいまに
書いた作品を集めて昭和46年に
『邱永漢の金儲け相談室』を発行したわけです。
 

この本は「事業相談室」「家計相談室」「不動産相談室」
「株式相談室」の4部編成です。
「事業相談室」は三菱自動車の販売店へのPR誌
「ダイア通信」で店主を対象に執筆した作品で、
中小企業の経営者の悩みに答えています。

「家計相談室」は『マダム』誌に書いたもので、
一家の財産経営をどうするかについて書いています。

「不動産相談室」は建設業者向けの雑誌
『ハウジング』に連載した作品で、
当時のようなインフレ時代には
不動産投資がもっとも安全であることを強調しています。

『株式相談室』は第一製薬の機関紙
「メジカル・ニュース」に連載した作品で、
邱がドクターたちに
「フィナンシャル・ドクター」をつとめています。
 

このように著者は多方面な問題について
実際的なアドバイスを続け、多くのファンを獲得していきました。



『株の体験』を発売したあとの後日談が
このあとに出版される『株の発想』に書かれています。

「『株の体験』という本を徳間書店から出版したところ、
12月の中旬から1月の中旬までのわずか1ヶ月で、
5万部も売れるという珍しい現象が起こった。
珍しいという意味は、私の本が5万部売れるということではない。
小説本を書いていたころは2万部も売ると、よくうれたなあ、
という感じがあったが金もうけと関係のある本や
税金の本を書くようになってからは
10万部台が珍しくなくなってきた。
 

ではなぜ5万部が珍しいかというと、
話しが株にだけに集中されると、
読者がグンと狭められ、
そんなに売れないものだというのが
常識になっているからである。

正月早々、井原隆一さん、浦宏さんと
短波放送で録音をした際、
その時はまだ4万部になったばかりなので、
『4万部売れましたよ』といったら、
浦さんがびっくりしていた。

私自身も『お金の値打ち』とか
『何をたよりに生きようか』などという本は
読者の幅が広いが『株の体験』となると、
株式投資だけに興味を持った人に限られてしまうから、
はたしてどうだろうかと疑問視していた。
 

しかし、実際に本の売れて行く足取りを見ていると、
自分の人気よりも、投資家の動向に関心が動く。

私は7~8年間も株式市場から遠ざかっていたから、
証券会社の若いセールスマンの中には
私の名前を知らない人があっても不思議ではない。

しかし、十年選手以上になると、
昭和35、6年時代の私を記憶にとどめている人が多いので、
『久しぶりにカムバックして、
邱さん、いったい何を考えているのだろう』と
興味を持ってくれるのであろう。
『株をやっている人の机の上に大抵のっていますから、
あの本売れているのでしょう』と
私のところへいいに来た業界紙の新聞記者もあった。
(『株の発想』)


このように『株の体験』もよく売れたのですが、
「株を貫く法則に順応することが大切」であることを
伝える作品との考えから、3度目の全集「邱永漢ベストシリーズ」
に編入されるに至っています。 
 

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