2020年01月


「続けて『経済一等国日本』100枚を書いた。
これは『プレジデント』に『驚くべき日本を解明する』
と題して載せてもらった。

この本の執筆に関していえば、
日本経済が直面している実際問題から入ったのだが、
問題を考えているうちに、これから21世紀になるまで
20年間に日本はどういう経過を辿るだろうか
ということに思いを馳せた。

すると過去をふりかえらざるをえなくなり、
日本が敗戦直後に『戦争放棄』を宣言し、
『非武装』を選択したことがどういう意味をもっているかを
改めて考えさせられることになった。

私は戦争のない社会も、自衛力のない国家も
非現実的なものと考えているが、
日本はそういう批判に目もくれず、
経済戦争で中央突破をやるような『桶狭間的』作戦を展開し、
遂に『軍事力を背景としない一等国』という過去の常識では
考えられない新しい国家像をつくりあげることに成功した。
 

これはひょっとしたら、21世紀の国家像のモデルケースになる
性質のものかも知れないのである。
この意味で、日本がアメリカの強い要請によるとはいえ、
防衛に力を入れ、はじめは一桁台の軍事費増のつもりが、
だんだんエスカレートして再び19世紀的な軍事力を背景とした
一等国へ逆戻りするのは明らかに誤った選択だった
と考えざるを得なくなった。

他の国に攻め込むのはますます金のかかることになりつつあり、
反対に、守るのにますます金のかからなくなった時代が
すぐにそこまで来ているのである。

そういう時代に、日本人のやるべきことは
防衛費を増やすことでなくて、
経済戦争でトップの座を守ることであろう。
以上のようなわけで、私としては久しぶりに、
ハウツー物でないやや硬派の書物ができあがった。」

(『香港の挑戦』まえがき)  


『香港の挑戦』には「香港の挑戦」のほか、
「実録―海外投資」と「経済一等国日本」の
二つの作品が収録されていています。

今回は「あとがき」のうち、
この「実録ー海外投資』について解説している部分の文章を掲載します。
 

「日本株の国際化も含めて日本経済の土俵が
全世界に拡がるようになれば、
日本の資金と工業技術が外国へ出ていって、
外国で工業生産をやったり、販売活動をしたりするのは
やがて日常茶飯事になってくる。

『海外投資』は日本経済にとって
避けられないコースの一つなのである。
たまたま私は足掛け10年、
台湾で実際に海外投資に従事してきたので、
その難しさをつぶさに味わってきている。
近来海外投資についての本はたくさん出版されているが、
通りいっぺんの叙述が多く、私が見ると
ツボをはずれたもどかしさを感ずる。

そこで自分の体験をもとに、
いわばホンネの海外投資論を書く気をおこした。
『海外投資』120枚は、中央公論社の『経営問題』春季号に
『実録―海外投資』と題して発表させていただいた。]
(『香港の挑戦』)
 



参院選に落選したあと、邱は
矢継ぎ早に発表した三つの作品をまとめ
本書、『香港の挑戦』を発刊しました。

この作品の「あとがき」で
三つの作品を解説しますが、
このうちの作品「香港の挑戦」についての
解説の部分を紹介します。
 

「去年(昭和55年)の8月、香港で王増祥さんに会った時、
『自分は日本の証券会社から
株を買ってくれと盛んに株を買ったら、
今度は買占めだと言ってさんざん悪者にされて弱っています。
今までの経緯がわかる資料をそろえて、
明日の朝までにペニンシュラホテルに届けさせますから、
東京へのお帰りの飛行機の中ででも
お読みになって下さいませんか』と言われた。
 

翌朝、約束の時間に、王さんの番頭さんがホテルの私の部屋に
大きな封筒一杯の書類を届けてくれた。
成田まで戻る4時間の間に、私は書類に目を通したが、
読んでいるうちに、
『これは王さんと片倉工業の
プライベートな紛争の問題じゃないなあ。
これから日本が世界に向かって日本製品を
どんどん売っていけば、そんなに日本経済が強いのなら、
一つ我々も日本の株を買おうじゃないか
という動きがでてくる。
現に既に産油国の財政資金やアメリカ、イギリスの年金も、
日本の株を盛んに買い始めている。
日本の株式は戦後、大衆化して株が分散し、
大株主といっても3%、5%というのが多いから、
この勢いで株式投資の資金が流入してきたら、
3年か5年で日本の一流企業のトップ株主は
ほとんど外国人によって買い占められてしまうだろう。
 

その場合、日本の経営者が今までのように株主の意見を尊重せず、
相も変わらず10分間で終るような株主総会をやっていたら、
外人大株主と経営陣の間に必ず紛争が起こる。
片倉のケースはいわばそのハシリみたいなものだから、
いっぺん、問題提起というか、日本の産業人に
警告を発しておく必要があるなあ』と痛感した。
 

そこで、執筆する前に、片倉工業に電話をして、
『調停は私の柄ではないが、中立の立場だから、必要があれば、
相互の誤解をとくお手伝いをしてもよいが・・・・・』
と意向を伝えた。片倉工業から秋山常務の名前で
『当分、静観したいので』という鄭重な断りの手紙が届いた。
やはりこれはいっぺん、ジャーナリズムの話題にして、
注意を喚起する必要があると思い、
昨年、『中央公論』の11月号に『香港の挑戦』と題して
120枚の文章を書いた。
 

ドキュメンタリー風の書き方は私としては珍しい方であるが、
ちょうど12月1日を期して外国為替法も新しく変わるし、
日本の資金も自由に外国に行ける代わりに、
外国の資金も自由に日本に入ってきて
株を買える時期にさしかかっていたので
経営者や各企業の株式担当者たちによく読まれ、
同誌は兜町界隈や丸の内の書店で売り切れになったそうである。

その後、同じ話題を『週刊ポスト』も取り上げたし、
TBSも特集の番組を組んだ。
そのきっかけをつくったという意味では
一応の目的を達したように思う」

(『香港の挑戦』あとがき)。 


著者は参院選出馬時のパンフレット代わりに
『インフレ撃退法』を刊行し、物価高の経済もとでの
賢明な処世法などの意見をまとめましたが、
邱は『インフレに相乗りする法』を発行し、
この本の「まえがき」で時代の新しい側面に注目しています。
 

「インフレになって物価が高くなったら、不景気になる、
と誰しもが思い込んでいる。
とりわけ、今年(昭和55年)のように、物価が実感として
20%も30%も上がり、賃上げが7%か8%しか
実現していない年は、有効需要の伸びが不足して、
景気は下降線を辿るだろうと一般に信じられている。
今年の5月以降、スーパーの売上げはグンと低調になったし、
7月以降、市況産業は一般に弱気に転じている。

だから、やっぱり・・・・・・と常識論に組みしたくなってくる。

しかし、その半面、設備投資意欲は盛んだし、
NC旋盤の受注は空前の金額に達しているし、
アメリカの不況にかかわらず、
対米自動車、鉄鋼輸出は衰えを見せていない。

国内最終消費の落ちた分を、設備投資と輸出産業がカバーして、
全体としての日本経済は好景気に向かって走り出している
とさえ言えるのである。
 

これは今までに考えられなかった新しいパターンである。
過去の物差しで測ることのできない現象は、
これを頭ごなしに拒否すべきではなく、
次の時代を暗示するものとして、研究の対象とすべきだ、
と私は思っている。

たとえば、アメリカでは、不況になっても物価が上がる。
これを名づけて『スタッグフレーション』と呼ぶ。
ところが、石油高になって物価が上がると、
日本では石油高を克服しようとして新しい産業投資が起こる。
その結果、つくり出されたランニング・コストの安い自動車や
電器製品はアメリカの市場を席巻する。

インフレが新しい需要を呼び起こし、
産業界に活気をもたらすのである。

この現象を『インフレ・ブーム』と呼んでいる。
同じインフレという世界共通現象が、
アメリカにスタッグフレーションをもたらす一方で、
日本ではインフレ・ブームをもたらすのを
何と解釈したらいいのだろうか。

『21世紀はアジアの時代』という方向に向かって
世界は着実に動いているし、日本に続いて韓国、台湾、香港、
シンガポールが経済発展の機運に乗っていることも、
多分ハーマンカーン氏の指摘の通りであろう。

しかし、3ヶ月ぶりに台湾に行ってみて、
物価の上昇ぶりに一驚した。
工業製品の品質はまだ日本に遠くおよばないのに、
物価だけが日本へもう一歩ということになると、
中心国のメリットが大幅に削減されてしまいかねないからである。

この意味で、技術先進国としての日本の安定度が
再評価される時期にきているように思う。
おそらく、これから80年代の終わりまでは、
産油国の投資が日本に集中することになるだろうとさえ
私は予測している。」(『インフレに相乗りする法』まえがき)


邱が台湾に帰るようになってから、
邱家では台湾からコックさんを雇うようになっていた。

「我が家のコックはこの本を作製中ずっと台湾へ帰っていたが、
本ができた頃にまた台湾から舞い戻ってきた。
本の中に出てくる料理の数が60数種しかないのを見て、
『この家の料理は1000くらいはあるのに、
どうしてこんなに少ししか載せないのですか?』ときいた。

『それは誰にでもできる料理を選んだからですよ。
うちの娘でも本を見たら、この通りにできるというのを
前提として選んだメニューなんだから』と私は答えた。

『じゃ、もういっぺん、今度は“邱家菜単”という
エンサイクロペディアのような写真入りの大きな本を
つくる必要がありありますね』とうちのコックはいう。

しかし一冊つくっただけでもヘトヘトだし、
写真入で膨大な全集をつくっても、とても売れそうにない。
だから今後もそういう計画があるわけではまったくない。

しかし、自分の家のふだんの料理をカラー写真にして
一冊の本にまとめてもらえたことは、
妻にとっては、生涯のしあわせの一つということができよう。

商売気があってつくる本ではないから、この本を見ていると、
『作り方』のほかに『調理のポイント』というところが出てくる。
中国人の料理の先生なら、教えないで残しておく部分である。

たとえば、キャベツ炒めのところを見ると、
『炒めるまではキャベツは水につけておき、
強火で、さっと炒めます。
油が全体に回ったら、すぐ火を止めます』と書いてある。
つまり野菜を炒めるコツは、
買ってきた野菜の水気が切れているとおいしくない。
青いまま炒めあげる要領は
ガスを全開にして強火で炒めることにつきる。
たったこれだけのことだが、ほかの料理本には書いていないことが
この本には書いてあるのである。」
(「『母から娘に伝える邱家の中国家庭料理』舞台裏」
『邱飯店のメニュー』に収録)。
 

ちなみに私が親しくなった友人たちに一番
数多く贈ったのがこの本です。
また家族としてもこの本を重用し
自分たちが中国料理を作る際に、
しばしばこの本を参考にさせていただいている。

ちなみに、この本はのちに『邱家の中国料理』
(邱永漢/邱藩苑蘭)と題し中央公論社の文庫本

(中公ミニムックス22)として出版されました。 

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