2020年01月


邱藩苑蘭氏は表に出て料理を教えるといったことは
好まない性分だったようです。

そういう夫人に火をつけたのは長女の世賓氏で、
中央公論社の『暮しの設計』から正式に
料理本の制作の話が持ち込まれている話を聞きつけ、
援護射撃をかってでました。
 

「『ママ、私たちに財産を残してくれても仕方が無いから、
将来、私たちの子供に、これはおばあさんがつくった本よ、
といって自慢のできるものを残してちょうだい。
私もお手伝いしますから』
とわきから口添えをした。

この一言がきいたのか、女房はにわかにその気になり、
1回に10皿から8皿まで8回にわけて料理をつくり、
それをカメラ撮影することを承知した。
珍しいこともあるものだなあ、と私は話をきいて感心したが、
料理をつくって人をご馳走するのは簡単だが、
それを写真にとることは厄介なことである。

はたして第1回目をやってみると、予想外に手間どったので、
女房は気をムシャクシャさせ、娘を睨みつけ、
『これもみんな、あなたのせいよ』
と恨みがましい文句を並べたそうである。
しかし、いっぺん約束したことを
いまさらキャンセルすることもできないので、
スケジュール通りの撮影が行われた。
 

一冊の本にするために台湾から遊びにきていた私の妹にも、
『台湾の家庭料理十種類』をつくってもらい、
また台湾旅行に行ったときはどこに行ったらよいか、
カメラマンの吉田和行君と編集者に同行してもらって、
『食いしん坊天国台湾』という特集も組んだ。
30軒ばかりのおいしい店の料理を写真入りで説明し、
さらに私が巻頭に『料理は“舌”で覚えるもの』
という文章を書いてなんとか格好をつけた。

これが同社から出た「母から娘に伝える邱家の中国家庭料理」
という本である。

この本ができたとき、私はふだんのご無沙汰のお詫びもかねて、
約200冊を友人たちに贈呈した。
いつも本を送っても、ろくに礼状はもらえないのが、
この本に関するかぎり山のように返事が帰ってきた。
たいていは、『女房が喜んでいる』
『我が家の食卓が賑やかになった』といった内容であり、
役に立つということは反応のあるものだなあと感心したが、
ひるがえって考えてみると、
いつも本を送ってもさっぱり反応がないのは
役に立っていないという証拠になる。
笑ったらいいのか、悲しいのか
ちょっと判断に困る出来事なのである。」
(「『母から娘に伝える邱家の中国家庭料理』楽屋裏」)

 


参院選の選挙に出馬した邱は落選してしまいましたが、
その後に発行されたのが、奥様、邱藩苑蘭氏との共著
『母から娘に伝える邱家の中国家庭料理』で
夫人の手になる中国料理が写真入で記載されました。


この本ができるまでにはずいぶん時間がかかっています。
邱永漢著『邱飯店のメニュー』に掲載されている
「『邱家の中国家庭料理』楽屋話」を読むと
そのことがわかります。
 

「あるとき、NHKの料理に出たことがあった。
アナウンサーが料理をしている女房のそばに立って、
早口でなにかきく。
きいてわからないわけではないが、外国語で答えるとなると、
答えをさがすのに少し時間がかる。(略)
シドロモドロしているうちに、あと3分、あと1分、あと30秒
というシグナルを見ると心臓が止まりそうになり
『もう駄目』といって、以後は誰がどういおうと
テレビ出演はいっさいお断りということになってしまった。
 

料理を教えてくれないかという申し込みも多かった。
檀一雄さんに、『邱家のきょうだいで料理学校をやればいい』
と盛んに焚きつけられたこともあったし、
檀夫人や五味康祐夫人たちが料理を習いに行きますと、
日取りまできめられてしまったこともあった。

また子供が学校へ通いはじめると、
PTAの奥さんたちにせがまれて、
とうとう週にいっぺんだったか、
しばらく我が家で料理の講習会をひらいたこともあった。
しかし、女房はどれもなじめなかった。

彼女の理想は、
『女が仕事をしたり、稼いだりすること』ではなく、
『亭主が稼いで、妻は高級車に乗ってお金を使いにいくこと』
だと信じて迷いがなかった。
 

『私のことを皆がセンセセンセというけれど、
全部教えてしまったら、皆がセンセになってしまうじゃないの。
だから、私は自分だけセンセでいたいわ』と冗談を言いながら、
どうしても料理の先生になりたがらなかった。

雑誌社の人が電話をかけてきて、
料理をつくってもらえないかと頼むときは、
女房に対しても『センセ』という敬称を使う。
『センセはおられますか?』というと、
女房はそれが自分のことだとわかっていても、
『センセはいま台湾に行っています』といって
電話を切ってしまう。
 

日本にはテレビや雑誌に『出たがり屋』というのがいるが、
うちの女房はどうみてもその反対だから、
とうとう雑誌社もあきらめて、
あまり料理をつくって下さいと頼みにこなくなった。
『あなたが馬車馬のごとく働いて、
私がそのお金を使うのがこの世のしあわせです』
といってはばからなかったのである」
(「『邱家の中国家庭料理』楽屋話」/「邱飯店のメニュー」) 。


著者は昭和54年に日本人の国籍をとり、
その3ヶ月後に参院選に出馬しました。 

この選挙向けのパンフレットの代わりに
発行されたのが小冊子、『インフレ撃退法』です。

選挙向けのパンフレットというと、
候補者の履歴とか、公約が書き並べられたものを
想像しがちですが、この冊子にはそうした色が全く無く、
物価高が顕著になっていた時代のさなか
生活の役に立つように編集されているところが、
著者ならではのものです。

この冊子の冒頭で著者はメッセージを送りました

「猛烈なインフレが家計を脅かすモンスター(怪物)として、
いよいよ猛威をふるう世相となってきた。
私は3年も前からこのことを予想し、私の本の中で、
また講演の席上で、その対策を述べてきた。

どこの家庭でも、月々の収入のなかから将来に備えて、
なにがしかの貯蓄をしている。
定期預金をしている人もあれば、投資信託を買っている人もある。
また住宅ローンや月掛け生命保険に追われて、
貯金などしている余裕がないという人もある。
 

いままで、真面目にせっせと貯蓄に励む人がよいと思われてきた。
しかし、20%とか30%とかの猛烈なインフレが
襲いかかってくると、家計が圧迫されるだけでなく、
貯蓄の配分の仕方によって結果がまるで違ってくる。
せっせと節約した金を郵便局や銀行に運んでいる人よりも、
住宅ローンの借金返済に追われている人の方が
あっという間に財産家になってしまっているのである。

つまり、インフレを考慮に入れた貯蓄法が必要で、
銀行に預金に行くとしても、
将来、借金をして不動産を買う資金を仰ぐための
予備行為であるとか、
現に貸借関係にあって互いに助け合う形になっている、
とかいうのでなければ意味がない時代になったのである。

こういう時代になったからといって
国全体が存亡の危機に瀕するわけではない。

エネルギーの高騰と財政の大赤字が
インフレという形で家計と家産を脅かしているから、
その直撃を受けないよう、
うまくかわしてとおるようにすればよいのである。

その具体的な方法や物の考え方を
なるべくわかりやすい形で理解してもらうために5人の女性に、
それぞれ20代、30代、50代、と年齢と職業の違う御方に
お集まりいただいて、大家映子さんの司会で、
Q&A方式で、この本をつくったのである。
 

私がこれまで25年間に及ぶ著作生活で書いてきた本は
70冊以上に及び、その中で金銭や経営に関する本は、
いずれも新しい経済の変化に対して
庶民はどう対処したらよいかという、
いわば舵に対する避難誘導員みたいな役割のものであった。

しかし、これからは、物価高という大火事に消防手として
立ち向かわなければならない役回りになってきたので、
いささか戸惑っている。
 

ビルは消防車のハシゴが届かないほど高層化したし、
不燃材のはずが火を吐いて毒性の強いガスが立ちのぼっている。
うっかりすると消防手の方が窒息したり、
負傷して転落死する時代なのだ。
うまく私にインフレの消防手がつとまるかどうかは
いつに皆さんのご協力のいかんにかかわっている」

(『インフレ撃退法』) 。

 とてもわかりやすい冊子で、小さな子供たちが、
将来を生き抜く上で、助けになる経済書だと思い、
この冊子、今も保存しています。
 



本書は昭和54年12月に発刊された監修本で

邱のほか、証券会社の調査部の人、宝石会社の人、
古書や切手のコレクター、ゴルフ会員権の専門家、
骨董の専門家などがそれぞれの得意の分野のことについて書き、
それらの作品が集められています。
 

当時はインフレ傾向が進んでいた時代で、邱は
「インフレ時代に要求される投資に対する基本的な考え方」
と題した作品を掲載しました。
 

この作品は30ページ足らずの文章ですが、
インフレ基調の経済に向かうべき合理的な態度が
簡潔に紹介されています。
 

まずお金を貯めることの重要性です。
邱は色紙を頼まれたときよく
「貯蓄十両、儲け百両、見切り千両、無欲万両」
と書きますが、このことからもわかるように、
貯蓄の威力をそれほど評価していないけれども、
どんな金持ちも最初は貯蓄からがスタートするものだし、
お金を貯めるには強い克己心が必要だから
貯蓄の目的や目標を明らかにし、『鉄の意思』をもって
お金を貯めるという第一目標を達成することが
必要だと述べています。
 

そして『インフレは経済界の矛盾を緩和するために、
人類が発明したもっとも抵抗の少ない中和剤であり、
更にもっと効果的な代用品が出現しない限り、
今後も継続して採用される」ととらえています。
 

さて貯金は(1)老後のため(2)不時に備えて
(3)家を建てる(4)独立資金(5)子供の教育費
(6)結婚(7)海外旅行など
多岐にわたる目的をもつものですが、
お金を貯めて銀行に預けておく形式だけでは
貯金の本来の目的を達成できないので、
十数年前から『借金学入門』とか『銀行とつきあう法』で
提言してきたように、借金を財産づくりの手段の一つとして
応用すればよいと主張しています。

また日本人が海外投資に従事する時代になってきているので
個人の投資も国際的視野にたって行うことが
必要になっているとの主張も盛られています。
 



『Q対談変化に生きる』は邱さんがホスト役として
7人のゲストと対談し、日本経済新聞と日経流通新聞に
掲載されたものが一冊の本にまとめられ、
昭和54年の11月に発刊された本です。

「日本経済新聞に『日曜対談』という
一頁を使った欄が新設された。
そのホスト役を頼まれた私は、変化激しい今の時代に、
それぞれの分野で特徴のある生き方をしている人々に
登場してもらって、その発想の源泉みたいなものを
皆さんに知ってもらうのがいいのではないかと思った。
 

私は、新しい時代の変化に一番敏捷に対処しているのは、
経済界の第一線で活躍している経営者たちだと考えている。
したがって、人選にあたっては、
大企業や官界や政界よりも
中堅企業のオーナーやいわゆる創業者社長に重点を置いた。

しかし、日経にはカミシモを着たような堅苦しい気風もあって、
必ずしも意見が一致しないところがあり、
スッタモンダの末に、ごらんのような陣容になった。」
(『Q対談変化に生きる』まえがき)
 

ということで対談相手に選ばれたのは次の方々です。
井上靖さんの小説『闘牛』のモデルとなり、
アイディア・プロデューサーとして活躍した小谷正一さん。

テレビ作家、タレントとして活躍し、当時参議院議員で、
現在は立正大学教授の野末陳平さん。

城山三郎さんの小説『官僚たちの夏』の
モデルとなった通産官僚OBで、
当時、余暇開発センター理事長であった佐橋滋さん。

小僧寿し本部を設立しチェーン店舗網を敷いた山本益次さん。

当時日本マーケティングセンターの社長さんで、
現在船井総研の会長さんの船井幸雄さん。

家業の鈴屋を専門店チェーンに育てた鈴木義雄さん。

家業の衣料店からユニーを設立した西川俊男さん。
以上7名の方々です。
 

「7人の御方との対談は実に楽しいものであった。
それぞれの立場も違い、活躍されている分野もまるで違う。
しかし、共通していることは、激しい世の中の変化に対して、
感度のよいレシーバーを具備しており、
職業上の必要性もあるが、
真剣かつ敏捷に対応していることである。
“大変だ”という意識はあっても、
悲観的な見方をしている人は一人もいない。
短い会話の間にも、それぞれの人柄がにじみ出ていて、
再読してもナカナカ味があるなあ、と思った。」
(同上)

邱はそれまでも多くの人たちと対談を行っていますが、
邱がホスト役となって対談したものが単行本として
出版されたのはこの本が最初です。
 

ちなみに、時を経て、このうちのお一人、
船井幸雄さんと対談『なぜいま中国か』が
刊行されるようになります。

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