2020年03月

『邱永漢のゼイキン報告』のまえがきの最後の部分です。
この本のオリジナル版『ゼイキン報告』が出版されたのは
昭和41年のことで、改訂版としてこの『邱永漢のゼイキン報告』が
出版されたのは昭和57年のことです。
それから20年の年月が経っています。
以下に記述されていることは「そんなことがありましたかねえ」

と思われるような事柄ではないかと思いますが、
この20年の間にどんなことが起こったか
また、いまも未解決なまま問題となっていることがどんなことか
など考える材料になるのではと思い、転載します。

「十年一昔というが、十年たってみると、世の中はがらりと変わる。
税法もその例外でなく、私がこの本を書いた当時は、
企業の自己資本の充実がさしあたりの目標であったが、
十年たつと、石油ショックが起こり、
土地の暴騰を防止するために国土法ができあがり、
土地の譲渡所得税に重加算税付加したりするようになった。
さらに十年たつと、今度は国家財政全体が大赤字に悩むようになり、
毎年の予算の3分の1を借金で賄うようなテイタラクになったから、
一方において行政改革を推進すると同時に、
他方でどうやって新税推進するか、
財政当局がしきりにチャンスを伺うようになった。

しかし、増税に対する抵抗も根強く、
大型消費税のアドバルーンをあげただけで、
大平前首相が選挙で大敗するという記録も残っている。
最近の事例でみれば、
グリーン・カード制の実施をめぐる攻防戦もその一つで、
すでに実施の当日まで決まったものを、
新聞の報道通りに延期するのか、また改廃するのか、
微妙な段階に立ち至っている。
 

いま日本の国を荒れ狂っているのは、貿易摩擦の旋風で、
いつの時代にも、日本に大きな変革をもたらすのは外圧だから、
この『黒船』の出現は日本の国の産業界の合理化、
わけても農業の合理化にとっては
またとないチャンスであろう。

この機会に、食管法の改廃が行われて、
続いて、国鉄や健康保険にメスが入れば、
ピンチにおちいった日本の国家財政も
息を吹き返すきざしが見えはじめているのではないだろうか。」
(『邱永漢のゼイキン報告』まえがき)

『邱永漢のゼイキン報告』の「まえがき」の続々編です。
「大抵の人は、税金や税務署員と直面することを避けたいあまりに、
税法の勉強もしないでただ税金を安くする方法はないものかと
考えるが、税法の勉強は、世俗的な意味の金儲けにくらべて
そんなに難しいものではない。
ところが寝食を忘れて金儲けをしても、
税法に通じなければ、無駄な税金を払うか、
表に出せない金ばかりできて、つまらない目にあってしまう。
『節税の勉強も金儲けのうち』なのだから、
『げんなりするほど退屈なこと』などと言わないで、
税金の知識を身につけていただきたいのである。
 

そうした納税者教育の目的を果たしたというほどの自信はないが、
『ゼイキン報告』は次々と情勢が変わり、税法が改定されて、
内容に現実とそぐわない面が出てきても、なお売れ続けた。
重版をするたびに、出版の担当者は『少し直されますか』と聞くが、
私はほかのことに気をとられているので、
『またこの次』『また機会を見て』と延ばし続けてきた。
それを昭和48年に大幅に書き直したが、
今度『Qブックス』のシリーズを出すことになったので、
最新税法を取り入れて、もう一度、全面的に筆を入れることにした。
 

9年たって自分の本を読み返してみると、統計数字が変わったり、
不動産や定期預金についての税法が変わったりはしているが、
税法に関する基本的な考え方は
ほとんど変わっていないことがわかる。

また環境がいくら変化しても、社用族も減っていない。
借金経営の方が企業にとって有利という条件も変わっていない。

だから、統計数字を最新のものに直すことと、
不動産の売買や利子所得に関する分離課税などの
特別措置法やその手直しの経緯について筆を加えたが、
屋台骨まで入れかえることにはならないですんだ。
 

しかし、とにかく装を新たにして出版することになったので、
今度は『邱永漢のゼイキン報告』と改めることにした。」
(『邱永漢のゼイキン報告』まえがき)

『邱永漢のゼイキン報告』の「まえがき」の続きです。
「本が出て、大へんよく売れるようになって、
同じ日経の出版部長さんと会ったら
『邱さん、あの本、どうして売れるか知っていますか』と聞かれた。

『さあ、どうしてですか』と聞き返したら、ニヤニヤ笑いながら、
『世の中にはあわて者がいて、本屋の店頭で見ると、
あれがキンゼイ報告に見えるので、
喜び勇んで買っていくのだそうですよ』
『まさか!』といって大笑いになったが、
『ゼイキン報告』という題はもともと家庭婦人部長さんが、
当時ロングセラーズとして話題を集めていた
『キンゼイ報告』にひっかけて、
『Qゼイキン報告というタイトルはいかがですか』
と私に提案し、私が二つ返事で承知したものである。
 

キンゼイ報告にしては
邱永漢などときいたこともない余計な名前がついているが、
あるいは解説書かもしれない、
似たような名前に謝国権というのもいるからな、
と読者の方で思ってくれたかどうかはわからないが
『Qゼイキン報告』のQと云う字を削って、
ただの『ゼイキン報告』として出版すると、
この本は7年間も売れ続けてくれた。
 

どうして私のような税理士でも国税庁の役人でもない人間の書いた
税金の本が売れるのだろうか、とふりかえって考えてみると、
それは私が『税金を払わされる側の立場』に立って
その論理を展開してきたかららしい。
税金というとアレルギー反応を示す人が多く、
『直面したくないこと』『不愉快なこと』
『税理士のセンセイに任せておけばよいこと』
あるいは『手取りで考えればよいこと』
として避けて通るけれども、
本当は誰も代わりはつとめてくれないことで、
自分で勉強し、自分で解決しなければならない問題である。
 

この本が税法の専門書の書いたものと違うところがあるとすれば、
それは、ほかの税法のセンセイはあまり税金を払ったことがなく、
本を出してベスト・セラーズになってはじめて税金を払った、
などという立場の人が多いが、
私は一般の商工業者と同じく、税金に悩まされてきたので、
多くの人の共感を呼ぶことができたのであろう。

この『ゼイキン報告』を書いてから、私はもう一冊、
『事業家、資産家のための節税の実際』という本を出し、
それがまたいわゆる高額所得者たちの間で評判になったので、
あたかも斯界の権威者であるかのごとき扱いを受けるようになった。
しかし、本当は私のようなシロウトでも、
税法と首っ引きで勉強をすれば、このくらいの知識は持つようになれる
ということを証明しただけのことであろう」
(『邱永漢のゼイキン報告』まえがき)

邱永漢2回目の全集「Qブックス」は
『固定観念を脱する法』からはじまって、
『食は広州に在り』、『私の金儲け自伝』、『象牙の箸』、
『東洋の思想家』、『サムライ日本』と続き、
昭和57年9月に『ゼイキン報告』が
『邱永漢のゼイキン報告』という名前で再版されました。

『ゼイキン報告』が出版されてから16年目のことです。

「私の『ゼイキン報告』は、
自分で言うのもおかしいが、よく歳月の淘汰に耐えてきた。
最初、日経本紙の婦人家庭部長が
私のところへ新しい連載を打診に見えた時、
何をお書きになりますかときかれ、私は即座に『税金』と答えた。

部長さんが意外な顔をするので、
私は、不況の回復が遅々として進まないなかで
企業家たちは税金で苦しんでいる。
またインフレが進むのに免税点の引き上げが遅れているので、
当時、全体で2千万人いたサラリーマンの中で
7割もの人が税金のアミにひっかかるようになってしまった。

税金に対する関心は日増しに強くなる傾向にあるから、
一般人にわかりやすい税金の本を書きたいと思って、
数年前から関係所を集めて勉強しているのだと説明した。

そうしたら、その点はすぐのみこんでくれたが、
はたしてそんな無味乾燥なテーマが
読者の興味をひくかどうか心配した部長さんは一策を案じて、
『私は長くこのポストにおり、次の3月の人事異動で
そろそろよそへ移りそうなんです。
私がいる間は邱さんに存分に書いていただきたいのですが、
部長が変わると紙面も変わります。
そこでこの連載を一応3ヶ月で終っていただけませんか』
と期限を切った。

万一、不評サクサクでも3ヶ月くらいならなんとか
ガマンするつもりだったのであろう。

ところが、連載が始まって2週間で、
編集局のお偉方の間で会議が開かれ、
この調子なら邱さんの気が済むように、
一冊の本になるまで自由に書いてくださいということになった。

おかげで1月から9月までかかってようやく連載を終ったが、
私の連載が終って本になって、ベスト・セラーズを続けても、
部長さんはまだ同じポストに坐り続けていたから、
人事異動云々がただの口実であったことがわかる。」
(『邱永漢のゼイキン報告』まえがき)

『ダテに年はとらず』を執筆した翌々年に
邱は『野心家の時間割』という本を出版しました。
この作品の中で
「本の題名は人の目を引くものであることが必要」
という趣旨の文章を書きましたが、
その際『ダテに年はとらず』に言及し、
この本のタイトルが決まった舞台裏を開陳しました。
 

「ある時、中年から上になったら、
どんな生き方をすればよいかについて
一冊の本を書いたことがあった。
いまの時代が若者にとってシラケの時代だとしたら、
中年にとっては明らかにイジケの時代である。
せっかく若者よりは多くの体験を積んできたのだから、
もっと生きてよいのではないかと私は思い、
そういった内容の本を心がけた。

書きあげた段階で、まだ題名を決めかねていた時に、
娘や息子たちとすし屋で落ちあった。
すし屋のカウンターで箸袋をひろげて、
私が『成熟社会のライフスタイル』とか
『熟年の生活設計』とか、
ごくありふれた題名からはじまって、
『ダテに年はとらず』といくつかのタイトルを書き出したところ、
隣に座っていた娘が即座に、
『ダテに年はとらず』というのを指さして、
『これがいい』といった。
 

『どうして?』と私が聞きかえしたら、娘が笑いながら、
『パパの自己顕示欲がよく表れていてよいじゃない?』
居並ぶ人がドッと笑ったので、たちまちきまってしまった。
『男の人の自信のない生き方に対して、
今の女の人は本能的に嫌悪感を抱いているので、
こういう題にすると、頼もしく感ずるのよ』
と娘は注釈をつけた。

私も実はこれがいちばんいまの熟年の心に
響くのではないかと思っていたので、娘の意見に従ったが、
この本ができあがってサイン会などでペンを走らせていると、
数多い私の本のなかで多くの人の手がしぜんに
このタイトルのところにのびてくる。
『ダテに年をとっているからなあ』
と言い訳をしながら、題名だけで本を買っていくのである。
 

つい最近も、近来とみに人気のでてきた
ファッション・デザイナーの三宅一生さんと
対談をしている最中に、一生さんが、突然、
『いつかは、やはりダテに年はとっていないぞ、
年をとればいい服ができるんだぞ、
というような服をつくりたいと思っているんです』
といった。間髪を入れず、
『では僕の“ダテに年をとらず”を読んでください』
といって拙著を一冊進呈したら、大笑いになった。

どうやら人生も40歳をこえてくると、
年齢とか時間のことが心に重くのしかかって
くるらしいのである。」
(『野心家の時間割』。昭和59年)

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