「密入国者の手記」を乗せてもらったが
「大衆文芸」昭和29年1月号で、その掲載の道を開いてくれたが
台湾での中学、高校時代世話になった西川満氏である。

西川氏は邱が市中の貧弱な原稿を使っているのを知り、
「満寿屋というところの原稿用紙を使ったら
 不思議に賞などもらってプロになれる、
 だからこの原稿を使って
 『オール読物』新人杯に応募してはどうか」
と原稿をたくさん香港に送り届けてくた。
 

台湾に2年、香港に6年、この間に邱は
普通の日本人には想像もできないような異常体験を積んでいる。
書こうとすれば材料にこと欠か無い。

そこで香港、シンガポール、マレーシアを舞台に、
裸一貫から財をなし、再び没落する竜福という名の華僑の話、
「竜福物語」を書き、応募した。
 

この「竜福物語」は約千篇の応募作の中から
最後の5篇の中に残り、邱に自信とプロになる野心を持たた。
 

この作品はのちに直木賞を受賞した作品とともに
『香港』(近代生活社)に収録されるが、
その際、檀一雄氏の勧めで『華僑』と改題された。

この作品は平成6年1月、新潮社から出版された
『邱永漢短編小説傑作選・見えない国境線』
に掲載されている。