参院選の選挙に出馬した邱は落選してしまいましたが、
その後に発行されたのが、奥様、邱藩苑蘭氏との共著
『母から娘に伝える邱家の中国家庭料理』で
夫人の手になる中国料理が写真入で記載されました。


この本ができるまでにはずいぶん時間がかかっています。
邱永漢著『邱飯店のメニュー』に掲載されている
「『邱家の中国家庭料理』楽屋話」を読むと
そのことがわかります。
 

「あるとき、NHKの料理に出たことがあった。
アナウンサーが料理をしている女房のそばに立って、
早口でなにかきく。
きいてわからないわけではないが、外国語で答えるとなると、
答えをさがすのに少し時間がかる。(略)
シドロモドロしているうちに、あと3分、あと1分、あと30秒
というシグナルを見ると心臓が止まりそうになり
『もう駄目』といって、以後は誰がどういおうと
テレビ出演はいっさいお断りということになってしまった。
 

料理を教えてくれないかという申し込みも多かった。
檀一雄さんに、『邱家のきょうだいで料理学校をやればいい』
と盛んに焚きつけられたこともあったし、
檀夫人や五味康祐夫人たちが料理を習いに行きますと、
日取りまできめられてしまったこともあった。

また子供が学校へ通いはじめると、
PTAの奥さんたちにせがまれて、
とうとう週にいっぺんだったか、
しばらく我が家で料理の講習会をひらいたこともあった。
しかし、女房はどれもなじめなかった。

彼女の理想は、
『女が仕事をしたり、稼いだりすること』ではなく、
『亭主が稼いで、妻は高級車に乗ってお金を使いにいくこと』
だと信じて迷いがなかった。
 

『私のことを皆がセンセセンセというけれど、
全部教えてしまったら、皆がセンセになってしまうじゃないの。
だから、私は自分だけセンセでいたいわ』と冗談を言いながら、
どうしても料理の先生になりたがらなかった。

雑誌社の人が電話をかけてきて、
料理をつくってもらえないかと頼むときは、
女房に対しても『センセ』という敬称を使う。
『センセはおられますか?』というと、
女房はそれが自分のことだとわかっていても、
『センセはいま台湾に行っています』といって
電話を切ってしまう。
 

日本にはテレビや雑誌に『出たがり屋』というのがいるが、
うちの女房はどうみてもその反対だから、
とうとう雑誌社もあきらめて、
あまり料理をつくって下さいと頼みにこなくなった。
『あなたが馬車馬のごとく働いて、
私がそのお金を使うのがこの世のしあわせです』
といってはばからなかったのである」
(「『邱家の中国家庭料理』楽屋話」/「邱飯店のメニュー」) 。