邱藩苑蘭氏は表に出て料理を教えるといったことは
好まない性分だったようです。

そういう夫人に火をつけたのは長女の世賓氏で、
中央公論社の『暮しの設計』から正式に
料理本の制作の話が持ち込まれている話を聞きつけ、
援護射撃をかってでました。
 

「『ママ、私たちに財産を残してくれても仕方が無いから、
将来、私たちの子供に、これはおばあさんがつくった本よ、
といって自慢のできるものを残してちょうだい。
私もお手伝いしますから』
とわきから口添えをした。

この一言がきいたのか、女房はにわかにその気になり、
1回に10皿から8皿まで8回にわけて料理をつくり、
それをカメラ撮影することを承知した。
珍しいこともあるものだなあ、と私は話をきいて感心したが、
料理をつくって人をご馳走するのは簡単だが、
それを写真にとることは厄介なことである。

はたして第1回目をやってみると、予想外に手間どったので、
女房は気をムシャクシャさせ、娘を睨みつけ、
『これもみんな、あなたのせいよ』
と恨みがましい文句を並べたそうである。
しかし、いっぺん約束したことを
いまさらキャンセルすることもできないので、
スケジュール通りの撮影が行われた。
 

一冊の本にするために台湾から遊びにきていた私の妹にも、
『台湾の家庭料理十種類』をつくってもらい、
また台湾旅行に行ったときはどこに行ったらよいか、
カメラマンの吉田和行君と編集者に同行してもらって、
『食いしん坊天国台湾』という特集も組んだ。
30軒ばかりのおいしい店の料理を写真入りで説明し、
さらに私が巻頭に『料理は“舌”で覚えるもの』
という文章を書いてなんとか格好をつけた。

これが同社から出た「母から娘に伝える邱家の中国家庭料理」
という本である。

この本ができたとき、私はふだんのご無沙汰のお詫びもかねて、
約200冊を友人たちに贈呈した。
いつも本を送っても、ろくに礼状はもらえないのが、
この本に関するかぎり山のように返事が帰ってきた。
たいていは、『女房が喜んでいる』
『我が家の食卓が賑やかになった』といった内容であり、
役に立つということは反応のあるものだなあと感心したが、
ひるがえって考えてみると、
いつも本を送ってもさっぱり反応がないのは
役に立っていないという証拠になる。
笑ったらいいのか、悲しいのか
ちょっと判断に困る出来事なのである。」
(「『母から娘に伝える邱家の中国家庭料理』楽屋裏」)